今朝のgoogleに驚いた
M×××××さん、誕生日おめでとう!・・・と、ろうそくを点してくれたのである~(≧▽≦)
ジブンへの誕生日プレゼントとして希望するのは
こういうのに↓一度は乗り、海・島を旅したいんですけど!!??
まだ??ちょっと??NO!!無理目!!なのであるが
最近
イタリアの古い島シチリア(ユーカリの島、オデュッセウスの島)が故郷の
「地中海の漂泊者」サルヴァトーレ・クァジモード(1901‐1968 1959ノーベル賞受賞) の詩(抒情詩)を時々読んでいると
やっぱり イタリアやギリシアの島々へ行きたくなる
詩の訳は最初読んだ須賀敦子訳でなくて、専門の河島英昭さん
だれもが ただひとり 地球の中心に蹲っている
太陽の光に 突き刺されて 。
すぐ 夜が 来る。
byサルヴァトーレ・クワジーモド詩集 (須賀敦子訳 須賀敦子全集第5巻)
この詩は初め最初の詩集『水と土』で「孤独」と題した詩の最後の3行だったそうだ
今はこの3行だけ
人はみなひとりで地心の上に立っている
太陽の一筋の光に貫かれ、
そしてすぐに日が暮れる
by サルヴァトーレ・クァジーモド詩集『水と土』(1920-29→アンソロジー1942年刊)の第一歌 (河島英昭訳)
他の詩を読むと日暮れと影のイメージがあるから最後の一行はこの訳がいいのかも!?
先によんだ須賀敦子訳インパクトがあったのだが
ぼくのなかに日は暮れてゆく、
草のような手のひらに
水が垂れこめてくる。
by サルヴァトーレ・クァジーモド詩集『沈んだ木笛』(1930‐32)の第一歌(河島英昭訳)
日が暮れて
広がってゆく影の中で
ぼくは独りなのだ
果てしない動きのうちに
ぼくから離れていった青春の日は傾き、
いま沈んでゆく。
日暮れはここにある、最後にきたものよ。
by サルヴァトーレ・クァジーモド詩集『沈んだ木笛』(1930‐32)「ローヤの河口」から (河島英昭訳)
ちなみに須賀敦子さんのクワジーモド評は辛口で、ウンベルト・サバ詩集の訳業に比べて比較にならない枚数の「イタリアの詩人たち」の中に、現代イタリアの三大詩人としてウンガレッティとモンターレとサバの詩を挙げたあと、さらに、ディーノ・カンパーナという精神分裂病者の詩をあげ、それからやっと最後に出している・・(五番目)
どうなんでしょうかね
それはともかく、
文庫本で自家製詩文庫空間をつくろう~~とプチ決心する
いや、今日は誕生日なので物を買ったり決心するのはヤメヨウ!
物を買ったら誕生日の自分へのプレゼント、何か決めたら誕生日の決心というものになってしまう
それはちょっと「もったいない」
かっくなる日の買い物と決心はこっそりじっくり(笑い)
*実際のプレゼント to meも本日つきました(古書)
中身は下の写真の左側(テオプラストス『植物誌 2』
何しろ第一分冊が出たのが2008年のことで
忘れていたのだが、今度の授業の参考書の一つなので、見たら
2015年に第二が出ていた(でも三分冊なのでまだまだ)
「植物学の祖」であるが
「生態学の祖」でもあり、すでに、環境(トポス)の話・・パラパラ読みます
*下のカレンダーも買う