猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

「滝口入道」

高山樗牛の「滝口入道」を読んだ・・
二度読んで二度とも泣いたのだが、
話は
横笛との「恋とは言わず、情けとも謂わず、逢うや柳因、別るるや絮果、いずれ迷いは同じ流転の世事・・」
・・とあるが・・・
意義あり!全然逢っちゃいないでしょ!
泣く箇所も主君の嫡子に、屋島の浦に戻って一門とともに死ぬべしというところでしょ!
高野山に出家している処を頼ってきたとき、そういうのだが・・
そして主君の嫡子が和歌の浦に入水したとき(27歳)、そこで切腹して死ぬのである
ん??武士に戻った?
平家全盛時の恋の話というより平家の最後の10年、いや6年のように思う・・
樗牛の話では切腹したとき彼は若者のように書かれていたが
生没年不詳というし、実際は死ななかったかも?・・・

とにかく話は柳絮だが・・いや、「逢うや柳因、別るるや絮果」なのだが
因果ということだろうが、意味がよくわからない。
平家一の美男の維盛(22歳)が青海波を舞ったあと、
横笛(16〜7歳 平清盛の子のその時の中宮=後の建礼門院の曹司)が赤い袴に柳裏の五つ衣を着て、春鶯囀(しゅんほうてん)を舞ったのを見て、
恋におちてしまうわけだが・・
恋文にはなしのつぶてで・・半年後、出家する・・・
下の句の「絮果」を調べているのだが、http://santalab.exblog.jp/20434570/「柳の種の報いでわかれる」とか言われても、なんのことやらわからない・・
柳絮とぶ清明のときという美しい漢詩は思い出すが・・
その季節は春である
横笛を思い切ったのは秋のことだから違うだろう

梨花淡白柳深青
柳絮飛時花滿城
惆悵東欄一株雪
人生看得幾清明
蘇軾

考えてみたが、「絮」はその字義にあるように、糸がもつれる(大字源)ということで、
もつれて別れる結果になったといったような意味だろう・・
ただし、樗牛の話では、滝口と横笛は一辺も逢っちゃいない!
「平家物語」の方確認しないと・・と、久しぶりに岩波古典文学大系を見た・・
なんと滝口の出家は19歳である。(巻第十p267)そして、ちゃんと逢っている・・が、
愛するものに連れ添えば父の命令(身分違い)に背くということで出家するのだ(わかりやすい) 
維盛が高野山に来た時は、髪を下ろして出家するのと熊野詣に付き従い、
入水のときも見届けて、切腹などしないで、死後の供養をする・・(若いのに、老僧のようにあっていたとある)
劇的ではないがわかりやすい・・(ただし、平家物語で今更泣けるかどうかはわからない 笑)