猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

シール・飾りで遊ぶ

娘が風邪をひいたようなので、薬局にいくついでに、100均によってきました

クラフト紙で作った付箋紙が360枚で100円
それ、いいかも!・・と買ってきましたよ(実は付箋紙って各色揃えてある)
それと鳥さん(よく見ると猫もいる)のインデックスがあったので買ってきて
早速、この間同じく100均で買った、味気ないインデックスの上に貼り付けてあそびました〜
一応、学生の身分ですが、どうも、勉強しているというより
ノートで遊んでいる時間のほうが長いのではないか!?
(←反省する気なし!?)
店先はハロウィーンからクリスマスモードに替わっていました・・

何もその関係のものは買いませんでしたが、ロッカーから昔のを少々出してきて、ごくすこしだが、
飾って、気分を盛り上げた

これだけで 終了!
今年はクリスマス当日もボランティア仕事を入れるかもしれない・・・(まだ孀モードだ)・・・・

高島俊男さんの本

ちなみに、昨日Wikipediaで引用されていた高島俊男さんの本が気になって図書館にも寄ってきた
高島さんの本は
本が好き、悪口言うのはもっと好き (文春文庫)』の他、「お言葉ですが」シリーズの本は何冊か読んでいたのだが(図書だったので手元になし)・・

中国文学者の高島俊男は、 難解な四字熟語を高尚で深遠であると盲信する風潮と、それに便乗して次々と四字熟語辞典が出版されていく現状を批判している。
Wikipedia

お言葉ですが…〈10〉ちょっとヘンだぞ四字熟語 (文春文庫)

お言葉ですが…〈10〉ちょっとヘンだぞ四字熟語 (文春文庫)

高尚で深遠というか、
中国において、読書人・士大夫階級の庶民との差別化ということ、
士大夫・読書人=文字を読み文章を書ける人間=官僚、豪族とする、
典拠を持つ言葉を書けるということは 自己の読書人としての資格を顕示する目的をもっていたと、
『四字熟語の中国史』(冨谷至 2012年2月刊)で読んだ・・

とにかくにほんにおいて「四字熟語」という言葉は1985年にできた新語だという。
(元祖[真藤建四郎著『「四字熟語」の辞典―活用引用自由自在』日本実業出版社刊)

「四字熟語」の辞典―活用引用 自由自在

「四字熟語」の辞典―活用引用 自由自在

命名がうまかった、定義が曖昧なまま、猫も杓子もみんな真似をしたというが、
四字の熟語自体ではないので高島俊男さん「四字成語」の方がふさわしいと言っている

高島俊男 『ちょっとヘンだぞ四字熟語 お言葉ですが… 10』 文藝春秋〈文春文庫 た38-11〉、2009年3月(原著2006年3月)
そもそも四字熟語辞典というのが、学術的な意義も価値もないものである。〔中略〕ただ、簡単に作れてよく売れるらしいからネコもシャクシも参入してもうけを図る。
このような批判に対し、『岩波四字熟語辞典』(岩波書店 2002年)の編集部は、『四字熟語ひとくち話』(岩波書店 2007年)の中で、「そうかも知れない」と譲歩する一方で、以下のようにも評している。
世の中は学問だけで成り立っている訳でもないので、学術的に無価値なものが、世間で何かの役に立つことはしばしばある

四字熟語ひとくち話 (岩波新書)

四字熟語ひとくち話 (岩波新書)

あはは〜〜(このあたり笑える)
まぁそうも言えるとしても、此の四字熟語或は四字成語は
古代中国への興味を喚起でき、人間のなす事に興味をもたせ、
力を入れずして天地を動かせるものと違うのだろうか〜〜!?(笑)

中国語では、このような4音節の言葉が最も口調がよく、音声的にも視覚的にも安定感が高い。こうして、4字で構成される無数の表現が自然と作られていく。日本語でも同様に「デジカメ(デジタルカメラ)」、「ケータイ(携帯電話)」など4モーラの語が目立つ

批判を受け入れて、というか、もうちょっと長いのが欲しいなと思って、
四字熟語辞典は買わないのだが(古いのが一冊ある)、
諸橋 轍次『中国古典名言事典』の方、
三種類のうちどれにしようか?・・っっと

座右版 中国古典名言事典

座右版 中国古典名言事典

中国古典名言事典 (1972年)

中国古典名言事典 (1972年)

中国古典名言事典 (講談社学術文庫)

中国古典名言事典 (講談社学術文庫)

あとちょっとネーミングがへそ曲がりっぽいかもな
加納喜光 『三字熟語語源小辞典』(講談社、2001年10月刊)っていうの、どういうもの??
三字熟語 語源小辞典

三字熟語 語源小辞典

とにかく、
文学は「不潔な学問」(BY 小林秀雄)なので、
「お言葉ですが」、「お言葉でしょう」!
「言葉、言葉、言葉・・」とハムレット・・・


ここで最後に一つ、詩を(加藤徹さんの「絵でよむ漢文」より)

贈別
 杜牧(9世紀)

多情は却って似たり
 総て無情なるに

(胸がいっぱいの時は、却って人の顔は無表情になってしまう
惟だ覚ゆ 蚘前(そんぜん)
 笑いの成らざると

(今宵の別れの酒席で、せめて微笑みたいけれど、どうしても笑顔になれない)
蝋燭 心有りて
 還た別れを惜しみ

(此のキャンドルには、まるで心があるようだ)
人に替わって涙を垂れて
 天明に至る

(私たちに替わって、朝までずっと、惜別の熱い涙を流してくれる)

詩には、感動した者が勝ちだと思う