昨夜、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読み始めた
かなり面白い
暇と退屈は類義かもしれないが、ちゃんと定義して使う・・
これ、
「高校生のための現代思想エッセンス」にも一部
[「贅沢」のすすめ]として、採録されている
突然だが、日常的にはよく使うけれど立ち止まって考えることのほとんどない、とある言葉を取り上げることから始めたいと思う
はい!
現代の「消費」は「贅沢」と違うという、
その話は、場所を変えてまた・・→
この高校生向けの「ちくま評論選」の方、7ページしか本文の引用がないところに
読解問題が3問あるのだ(-_-;)
何でしょう(笑)
自前の頭(猫的頭)で考えるべし・・
(考えてもらって、読むと、だいぶ頭が良くなったように錯覚する本であるが)
それはそうと、こちらの文房での話は、日常の話にしたい
今朝はもうラジオ体操はなかった
早起きして雨を横目にベランダ片付けを続行していた
いまこんなである
デッキブラシがあるので、あとで少し溝そうじもやっつけます
手前は私の部屋の前の物干しコーナー
この左側に古い食器棚を横にしておいてあったのですが、解体撤去を済ませています
右の物干し設備は東面にもあるのでこちらが使えなくても大丈夫だが、
見ると、エアコンのホースがぼろくなっているので、個人的な経費が発生するかもしれない
あるいはアイリスオオヤマのものに変更?
おいてある鉢とプランターのいくつかは
工事開始後、どこやらに設けられるはずの鉢置き場に置いてもいいが、
基本としては、東面に移動集合させておく予定(まだ日にちに余裕あり)
ところで、昨日の昼に、マンションで火災警報が鳴った
どこぞの部屋で火が出たようだが、初期消火で済ませられたという(消防車は来なかった)
そして今日は、管理人さんにお願いされているので、
11時から少々マンション夏祭りの厨房のお手伝いです・・
マンションは引っ越しが楽そうなイメージがあるが、どうなんでしょう・・
ずっと住み続けています…
住むということ
國分功一郎さんの話にある「定住革命」ということをちょっと考えていた・・
住むということ・・・・・
自分の肉体的・心理的な能力を存分に発揮することが強い充実感をもたらすであろうことは想像に難くない、そして、定住生活はその発揮の場面が限られてくる。毎日、毎年、同じことが続き、目の前には同じ風景が広がる。そうすると、かっての遊動生活では十分に発揮されていた人間の能力は行き場を失う。もっといろいろなことができるはずであるのに、することがない。自分の能力を十分に発揮することができない、まさに退屈である。(p95)
定住革命という言葉はこちらからであるという↓
定住は1万年前からで、
それまでの400万年−1万年間は、遊動生活だった・・という