この言葉ではいつも、宮沢賢治の妹(永訣の朝)を思い出すのよね・・
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
こんなに自分のことだけで苦しむ人間には生まれまいという・・
生まれ変わったら、もっと健やかに、思いきり生きたいといった意味だったかな・・
私はそう思ったのだが、
解釈として「今度は、こんなに私のことばかりで、
お兄さんが苦しまないように 生まれてくるね。」?
お兄さんが?じゃないと思うけど?
(むろんお兄さんへの気遣いはあったにせよ)
また。別の解釈として
「今度生まれて来る時は、こんなに自分のことばかりで苦しまず、
ひとのために苦しむ人間に生まれて来たい」
う〜ん・・、そこまで言ったの?
いやぁ苦しむ人間にはなりたくないと思うよ・・
(それは私の気持ちですけどね)
妹だというからちいちゃな子を思い浮かべるかもしれないけど、そうじゃなくて
妹のトシさんは24才だったのよね(1898年 -1922年)
日本女子大学を出て花巻高等女学校教師となったんですよね・・
宮沢賢治は(1896年-1933年)亡くなったのは37才だったのか〜〜〜〜
なんで宮沢賢治が出てくるかというと、
こんな庭を作ってみたいのですよ。
(Photo by fumingさん@北海道の国営公園)
これ例の「裏の畑にいます」というのをアレンジしているのよね・・
涙ぐむ目のデザインの花壇とかも思い出す。
それはさておき、「生まれ変わったら○○になりたい!」の○○ですが、
ハンサムウーマンかな?
強くて、美しく、知的で、カッコイイ!