ゲーテの「詩と真実」を読了
予想していたものと終わり方が違う〜・・第4部の終わりは・・・
まだ26歳である!
婚約した銀行家の娘(要するにゲーテの家より大金持ち 社交界の花)を諦め、
ワイマールに行こうとするところで終わっているのである
4部作なので、もっとあると思いましたが・・
残念!!
『若きウェルテルの悩み』は何よりも創作
現実はそうたいした恋でもなかったように読みました
ゲーテはこう書いている
総懺悔の後のように重荷をおろし
現実を詩に変えたことによって晴れ晴れとした気持ちになり、
新たに生きる資格を与えられたと思った
Wikipediaは大げさ〜、(というかどうも書き方が気に食わない)
友人メルクのいうゲーテの特質・・・
他の人間は詩を現実にするのに対して、ゲーテは「現実を詩にする」のだ
現実を詩に変えた「詩的告解」だと(第3部p229)
ヘルダーやメルク、父・妹の存在感が目立つ
シェークスピアの話は出てきても、シラーは全然出てこないのであった・・
これでサブタイトル「わが生涯」というのでは違うよ〜(「わが生涯から」でした)
第4部はすごく薄い。自分の書いた詩からの引用も多い。
第3部の「自分のために私専用のキリスト教を考える」(p307)というような、あの精緻な話ぶり・・
やはりドイツのビルドルングスロマンということであったのだな・・・
第3部もう一度読んだ方がよいかも・・
キリスト教はわからないもの・・
広く喝采を博した私の作品は孤独の産物だった。
第4部最後の最後の5行は(「エグモンド]より)
もういい。やめてくれ。目に見えぬ精霊に鞭うたれたように、時の陽の駒は我々の運命の軽車をひいてまっしぐらに駆けて行く。われわれは勇をふるって、しっかりと手綱を握りしめ、この岩、かしこの断崖を避けて、右に、左に、車を御していくほかにすべはないのだ。それがどこへ行くか誰が知ろう。どこから来たのかさえ、ほとんど覚えてはいないのだ。
(ひょっとすると再訳が必要かも?・・時の日の駒とは?太陽神?馬?)
「詩と真実」副題 わが生涯より
巻頭のエピグラフ??
「若き日の願いは年老いてから豊かにみたされる」
「木は天まで届かないようにできている」
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http://www.tm-a.co.jp/cityInfo/Germany/Frankfurt/poem_truth.html