猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

辻邦生とフランス映画

辻邦生の『美しい人生の階段 ―映画ノート'88〜'92』 (1993年07月)をざっと読みました
5年間の映画ノート・・・この中にある映画約92作品で、
2本づつ挙げると
1988年「存在の耐えられない軽さ」「ベルリン・天使の詩
1989年「バベットの晩餐会」「(タルコフスキーサクリファイス
1990年「ニュー・シネマ・パラダイス」「いまを生きる」
1991年「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「グリーン・カード」
1992年「ナイト・オン・ザ・プラネット」「フライド・グリーン・トマト
こういう感じ
私が見てないもの(主にフランス)を、これからDVDで見ようと思ったのですが、やはり、無いものが多い・・ 
「フランス映画のしたたかな芸術性に圧倒された」と言っている『美しき諍い女』(’91 原作パルザック「知られざる傑作」)とかもなかったが、これは4時間の長さなんだそうだ・・フランス映画は長いという・
TSUTAYAで検索するが、『太陽は夜も輝く』『木洩れ日』とかもないですね
でも、『読書する女』('88)というのが近日リリース(5月2日にレンタル開始)とあった(ミウミウ主演)のと
表紙の『仕立て屋の恋』(ルコント)や『パレルモ・シューティング』(ヴェンダース)『愛と宿命の泉』(クロード・ベリ)『みんな元気』(トルナトーレ)はあったので・・レンタル予約!

タルコフスキー:Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932- 1986)はソ連のサ映画監督だと思ったが・・「表現の自由を求めてソ連を亡命し、故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。」(Wikipedia
サクリファイス』('86)『ノスタルジア』・・・・ないですね


(上の右の本は辻佐保子訳の『ロマネスク彫刻』)

「映画ノート'88〜'92」ということで、その5年間に公開された映画の話が主ですが、、
「青春のを横切った映画たち」と
トリュフォー、その軽やかな偉大さ」という項などもあり、
フランソワ・ロラン・トリュフォー(François Roland Truffaut、1932- 1984)は昨年が「没後30年」だったんですね!・・ジャクリーヌ・ビセットとか 懐かしい感じ(70歳にして未婚現役)
辻邦生
トリュフォーが生きている時、好きな監督だが尊敬する監督という感じではなかった。それが彼が亡くなった時、急に彼に別の光があたり始めた」と言っているが、
ベルイマンの深奥な感覚、フェリーニの哲学、黒澤の構成力、ヴェンダースの前衛性、タルコフスキーの宗教感覚、それに対するトリュフォーは、映画というジャンルの危機にあって、新しい芸術の困難な道を切り開きながら、人に気取られずにやってのけた」・・と(25本作った)

「映画製作は夜行列車のようなもので、人々が眠っていても、走っているんだ」というトリュフォーの言葉は、今となると、とんでもない重さを帯びて見える

??・
旧制松本高校での友人のフランコフィル(フランス好き)河合勘助とフィルムハウスの話
彼が映画のファーストシーンとラストシーンとかをよく覚えていて話してくれたおかげでが、「映画を注意深く見るようになった」
そして、もう一つの楽しみは、「監督や俳優やスタッフの名前を果てしなく話すということ」を教えてもらったと

(そのころ見た映画で)凄いと思ったのはルイ・ジュ―ヴェの内面的演技
今のテレビドラマで安っぽい男女の交渉しか見られない若者と地は気の毒な気がする。ルイ・ジュ―ヴェ一人で、どんなに生きることへの洞察が深まるかわからない(女だけの都、舞踏会の手帖、旅路の果て、北ホテル)

・・という・・戦前のフランス映画の全盛期・・ルネ・クレール、テュヴィヴィエ、ジャック・フェデー、ジュン・ルノワール・・それから戦後・・禁じられた遊び天井桟敷の人々、情夫マノン、恐怖の報酬、悪魔のような女太陽がいっぱい去年マリエンバートで・・・

フランス映画の魅力は何といってもフィルムノワールにとどめを刺す

ふ〜〜ん〜〜

アメリカ映画については、このところサスペンス映画に力作があるという話だったかな、

大衆性にどっぷり浸っているが、その不動の商魂は映画娯楽の原点でもある。娯楽といっても映画的レヴェルは決して低くはない


また、ケヴィン・コスナーを評価している・・「人気絶頂のハンサムな俳優で(ありながら)、渾身の力を込めて、現在の痛切な生き方を問いつめている 」

われわれが映画を見るのは、そこに「人生の階段」を凝縮した何かを見るためだ、と言いきっても間違いはないだろう(p11)