『座談の愉しみ』という本で
怠惰というテーマで、生活の中の時間感覚という話があって、結構面白い
(でも30年前の対談でしたけど)
ナマケモノは体の筋肉が弱くて動作がのろい。怠けているのでない。
勤勉は緯度の問題と関係がある(香原志勢)
「七つの大罪」に怠惰は入っていない、働くことは罰、神の呪いであった(アダムとイブの話)
「死んだ親父、死んだ友達がについて、はじめて木が紅葉したころ、はじめて桜が散ったころに死んだというふうに覚えている。そういう時間感覚の中で、死んだ人がよみがえってくる。それに対して一見合理的に見える唐から入ってきた暦がつくった同じ年の同じ月の同じ日の命日という感覚は抽象的ではないか。」
そういうこと宣長に触れながら小林秀雄は論じているのだが、われわれがおちいっている勤勉と怠惰の奇妙なズレもそういう時間感覚を忘れて抽象的な暦においまわされているせいじゃないか。勤勉・・社会的、政治的、経済的、明治時代の野暮な武士がが生み出したもの、怠惰と遊びが結びついて、遊びの感覚が消えた
怠惰・・生理的リズム、肉体的時間肉食・・ライオンの昼寝、集中力と自己解放
草食・・農耕民族の勤勉さヨーロッパの怠惰・・・・キリスト教の終末観のものすごい時間の感覚の中で、その時間が止まって、時間が消えた中での充足を味わう、「大いなる真昼」瞬間を永遠にする怠惰感
〔岩の中で日を浴びてるトカゲの如く、この瞬間、私は怠惰を楽しむ〕(ニーチェ)・・時間に反抗して怠惰になっている
インドや東南アジアの怠惰・・終末感の無い時間、永遠の時間と日常の時間は融け合っちゃっている。この世が仮の宿だったらそうあくせくする必要がない
日本人・・ひたすら望む怠惰のイメージがない、習い覚えた生活の中でのリズムを持ち音でせっかくの怠惰をなし崩しにする(粟津則雄)
ここにものすごくびっくりした!!!
「時間よとまれ!君は美しい」(byゲーテ)の意味を捉え損ねていたのだろうかと
家でぼんやり、本も読まず、論文も書かず、カードも見ず、辞書も引かず、という時間がきっとあるだろう、それを、ああ、遊んでいると思ってシリをひっぱたいてもらっては困る、それが一番大事な時間なんだから。
怠惰を追求することに勤勉でなければいかない??(村上陽一郎)
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