今日のランチはカロリーが書かれているコンビニで色々見て調達してみた・・
(・・って、いずれも結構なカロリーあるのが分かった感じ・・今まできにしなすぎた^^;)
用足しがてらに近隣を一回り(公園を含む)ウォーキングで1万歩ちょっとクリア
達成感!
桜の蕾の写真も取りました
澁澤龍彦の「渡欧日記」を読了した
近所の図書館の蔵書を検索すると、澁澤龍彦の著書は、意外にも、翻訳全集ばかりだったので
ついで何冊か古本を買い足しました・・
図書では塩野七生さんの「イタリアからの手紙」というエッセイを借りたので、今から読みます
追記です
なんと、塩野さんによれば、ゲーテは
フィレンツェを駆け抜けて万聖節に間に合うようにローマに急いだが、何日か前に早くついてしまい、
普通ならそのまま入るところを、ポポロ門の前の宿で、律儀に、万聖節の十一月一日まで、ローマ市内に入るのをまったのだという。
なんというやつだ!(笑)
「ローマは田舎者の心情を持って懐に飛び込んできたこの男に、彼女の魅力を十分に味わわせたものと見える」^^;
あと、これも別格の女性である、ユルスナールも読んでいたのだが、
あの廃墟の「考古学的詩情」の画家ピラネージは「ローマ哀歌」のゲーテより一世代だけ年長であったのという・・
ピラネージが、ヴェネツィア大使フォスカリーニの供をして、大使館付き製図家の資格で、はじめて「人民の門(ポルタ・ディ・ポポーロ)」をくぐったのは1740年、二十歳のときであった。
ピラネージはギリシア建築をエトルスク建築の単なる代用品であって、ローマの石造建築技術より劣ると終生考えた
この理論のために、ギリシア彫刻愛好家で理論家であるヴィンケルマンとの長期の論争に巻き込まれた
ヴィンケルマンはギリシアをしかるべき位置、すなわち第一位に据えたのだが、しかし、ギリシアの原作が全て失われていたために、
ヘレニズム期またはグレコ・ロマン期の凡庸なコピーを、ギリシア美術の代表作と思い込み、体系化と誤謬に陥った
『ピラネージの黒い脳髄』
- 作者: 塩野七生
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