猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

朝食食べながら横目にみていた

テレビで
フンデルトヴァッサーの紹介をやってました
大阪市環境局舞洲工場です

Wikipediaによれば

彼の作品に渦巻きが登場する。「円に流れる血 私は自転車を持っている」(1953年)ではどこまでも果てしなく続く曲線。一方で断固拒否したのは定規で引いたような直線であった。「自然の中に唯一存在しないものが直線である。社会や文化が存在しないこの直線に基づいているとすれば、やがてすべては崩壊するだろう」。彼にとって無機質な直線に比べ、渦巻きは植物のように成長する命の象徴であった。自然への畏敬の念をこめた作品「わたしはまだわからない」(1968年)は次第に世界で高い評価を受けるようになった。

はい、いままさに渦文をやってます
エジプトとギリシアの中間の
アッシリアの植物文様に、渦文が利用されていない、これは重要な点だという、リーグル「美術様式論」です。
ここが核心なんだ・・と思って、すごくスリリングな思いで読んでいる。
意味わからないと思うけど・・唐草とは美の線なのだ・・(植物)文様と(植物)文様をつなぐ連絡線・・
それにアッシリアでは渦がかかわっていないという、そこ・・
そしてアッシリアの次は、フェニキアで、こっちは空想獣がどのようにかかわってくるか、というのが論点の要素。
http://www.karakusamon.com/2010/riegel22zu.html

それでこのあの方のガーデニング作品でありますが
ここにもそれはあるのですが、水の波紋という規定が大きすぎるかも・・(っと偉そうなことを猫がいい)
http://hana.karakusamon.com/2007/20070922.html
(流木をアクセントにした入口や渦紋の白壁)