猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

ノア: Noah

ラッセル・クロウの「ノア」監督ダーレン·アロノフスキー(Wikipedia)をデジタル配信で見ました・・
感想としては、敵(カインの末裔)の「人間中心」、人間とはこういうものだ・・というのに、
一理がないわけではないというか?・・(つまり⇒ハム:ローガン・ラーマンの立場?)

尊大強欲な自己中心、他者の人権を踏みにじる暴力的・支配的・戦闘的なのは、もちろんイカン・遺憾だが、
人間を滅ぼし動物だけの世界にするということが、神の考えであり、
神から命じられた使命というのは、「動物を救うこと(人間を誰であれ一律に滅ぼすこと)」であるとは、
・・・それはどうなのか
人間中心主義も遺憾だけれど、人間も動物なので、神よ一緒に救ってくださいよ〜〜みたいな・・(笑)

動物を救い人間を滅ぼすその使命を果たすことに敗れたというノアの意識・・
つまり、
ノアの祖父メトセラ(アンソニー·ホプキンス)が、子どもの産めない体の
エマ・ワトソンの演じるイラ(ノアの養女、セムの妻)に懐胎能力を与え
その結果できた、セムとイラの子ども(双子の女の子)を、
ノアは殺すつもりが殺さないでしまうということ
・・それを「慈悲」という ・・・
神はノアに選択を任せたのだとノアの妻(ナーマ :ジェニファー・コネリー)はいう・・
いやここはイラのことばだったようだ・・

ノアの方舟には、ノアの子どもはみなカップルで乗るはずで、
人類の祖先のノア一家は動物とともに助けられた

ノアに関する聖書自体の記述、ちょっと・・困った部分がある
なぜ栽培したワインに酔って裸で眠ったノアを見たハムが罰せられなければならない「悪」なのか・・ 

ルネッサンスから近代の「人間中心主義」に対して
現代は見直しで、「環境保護主義」な世界で
それは「正しい」「清い」もの・・・である・・・としても・・
人間の存在を抹消するのは・・どうなのか・・・
そもそも、初めから、人間を動物と別に置いているのがおかしいと思わないのだろうか・・

初めの「ヘビ」の緑色の顔は悪くないショットだった
アダムの楽園追放の「番人ウォッチャー(見張りの天使)」が、アダムとともに地球に落とされ、
「光」から「泥の巨人」たちになっていたのが、
ノアに協力して方舟を作り、そして、カインの末裔との戦いで、命を落とし(?)、光の形に戻って楽園に戻っていく・・・というのも・・・よいかな?
番人のシェムハザ(「堕天使」)は、ノアはアダムに似ているという・・・
神は・・返答しない神で、・・無から花を咲かせる・・・砂漠に泉を湧かせ、川を作り森を作る・・・

Wikipediaで「宗教叙事詩映画」という分類がされる・・en.Wikipediaのその「宗教叙事詩的映画」の項はこちら
最後に虹が出ているらしいが、私にはこの映画に虹を見た記憶が無い(??)
内容を見損ねたのかも〜〜〜・・と翌日もう一回見ました
うん。ありました・・しかし・・・感動はしない・・ハムは「家族の絆を断った」って・・

肉食、弱肉強食・・
アダムとイブの原罪の前は、すべての生き物は青草を食んでいたという(創世記1:30)
ロマネスクの図像学「教会の怪物」を読むのと並行して、ラッセルクロウの新作をみました

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