荷風を一日1年のペースで(ベッドで)読もうと思って
8日の続きで、昨日読んだところを見返すと、
大正8年の後半だが、
露国革命で亡命の帝室歌劇団のオペラを連日聞いて、
(9月21日)
余 帰朝以来十年、一度も西洋音楽を聴く機会なかりしが、今回図らずオペラを聴き得てより、再び三味線を手にする興も全く失せたり。この日晩有楽座に清元会ありしを知りしが往かず。
(12月5日)
今日余の憂を慰るもの女にあらず、三味線にあらあず、唯仏蘭西の文藝あるのみ。
・・と変心しているし、
「路地裏の詫び住居にも飽き」果てて、外遊したいと思うのだが、
「今日衰病の身、果たして昔年の如く放浪の生活をなし得べきや否や。之を思えば泫然として涙なきを得ざるなり。」
引っ越した家も1年で、木々が恋しくなったようで、
麻生市の崖上の地所を借りて(平成8年11月)、「変奇館」を建てて引っ越す(平成9年5月)
(大正9年1月3日)
歩みて芝愛宕の西洋家具店に至る。
麻布の家工事竣成の暁は西洋風に生活したき計画なればなり。日本風の夜具蒲団は朝夕出し入れの際手数多く、煩累に耐えず。
あとの話で記憶に残ったのは、
大正8年の十一月、(「悪き弟」の)威三郎が不在と聞いてその西大久保の家にいる母のところにいった話で、
十一月二十三日 銀座義昌堂にて支那水仙を贖い、午後は母上を訪う。庭前の楓葉錦のごとし。
母上居室の床の間に剥製になし白き猫を見る。是母上の年久しく飼いたまいし駒と呼ぶ牡猫なること。耳のほとり黒き斑にて、問わねど明らかなり。
八年前妓八重次わが書斎に出入りせし頃、津ノ守髪結いの家より児猫を貰いきたりしを、母上駒と名付けて目で育てられけり。
爾来家に鼠なく、駒はよくその務を尽くして恩に報いたりしに、妓は去って還らず、徒に人情の軽薄畜生よりも甚だしきことを知らしめたるのみ。
(後略)
ん〜〜恨んでいないんじゃなかったの?
1年前の大正7年12月7日の日記には
「唯懇意にて心置きなき友達という有様になれリ。此の方がお互いにさっぱりとしていざこざ怒らず起らず至極結構なり。」・・とありましたがねぇ〜〜
なかなか面白い
ちょっと先の箇所をパラパラ見ると、新居では、またチューリップを植えたりしている
エジプトアンク
昨日亡夫の一周忌で、1年の喪が終わり、何か買おうと思ったのだが、
お守りで
18金のエジプトアンクにした
鎖はバチカン(金具)のサイズを見てから
K18ゴールド エジプトクロス ペンダント 「シンプル小さめアンクモチーフ」
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