猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

ゲーテの言葉

朝のドラマ
「ゲゲゲの女房」ですけど
水木しげるが
ゲーテの言葉を書いて 部屋に張り出していましたね
人間は努力する限りは迷うものだ、という言葉のあたりで
努力して報われないときは好機の到来を待つという・・

[劣化自己コピー感]?

※勝間和代 VS ひろゆき
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503


※追記です

久しぶりに
『from 911/USAレポート』第458回
「勝間=ひろゆき対談をアメリから見ると」冷泉彰彦
JMM [Japan Mail Media] No.583 Saturday Editionから

==引用開始==

勝間さんが明確な価値観からある方向性での実行を主張したのに
対して、ひろゆきさんは前提への懐疑を繰返して、平行線になっていました。ただ、
この「ネットでの匿名性」の問題ですが、私は以前から気になっていたのです。確か
にアメリカでは、程度問題ではあるのですが、ブログでもSNSでも実名の使われる
割合が日本よりも圧倒的に高いのですが、そのアメリカから見ていると日本の匿名ば
かりで、結果的に荒れることの多いネット利用はムダが多いように思われたのも事実
だからです。

この問題への私なりの仮説については、他でもない、この勝間=ひろゆき対談その
ものの中にヒントを見つけることができました。というのは、ここまでお話してきた
ように、対談の中でひろゆき氏は「常に前提を疑う」アプローチで、よりロジカルな、
より精神的な自由度の高い議論を志向していました。その結果として「前提を確定し、
その上で問題解決の具体策も早く決めたい」勝間氏とは「すれ違い」続けていたので
すが、最終的に勝間さんはひろゆきさんのアプローチに対して「自分が絶対正しいと
いう感じで上から言われている感じ」という感想を漏らしていたのです。

この「上から言われている感じ」というのが、たぶん重要なのだと思います。これ
は、勝間さんがどうとか、ひろゆきさんがどうという話ではなく、日本語の特質だと
思うからです。日本語というのは、人間関係の調和が前提となってできている言語で
す。まず関係性を規定して上下の敬語や遠近の丁寧表現を使ってコミュニケーション
のフレームを作り、更に前提となる共有情報は主語でさえどんどん省略して会話全体
を小さな謎掛けと謎解きで構成することで、ネバネバした親近感へ巻き込んで行くの
です。更に、意見の相違や利害の相反が出てくると、婉曲表現や敬意の表現などを駆
使して関係性を傷つけないようダイナミックなバランスを取ろうとする談話形式も定
着しています。

こうした日本語会話の特質には、相手への明確な反論や、前提への懐疑というのは
なかなか馴染みません。それをポンポンとやってしまうと、本人が思う以上の暴力的
な権力行使として相手には受け取られてしまうのです。勝間さんという人は、デフォ
ルトの設定としては男性支配や年功序列へのチャレンジャーとして活躍しておられ、
その分あらゆる人との対等な関係というのは意識している方だと思いますが、その勝
間さんにしても、ひろゆきさんの冷徹なロジックを「上から言われている」という上
下関係の規定として感じてしまったのでしょう。非常によくある現象なのですが、こ
れは深刻な問題です。


ゲーテとの対話 上 (岩波文庫 赤 409-1)

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座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)

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