「本」
Delさん監訳の本が出たそうです
著者の アルバート=ラズロ・バラバシさんは「ネットワーク思考」を書かれた方ですね
しかしあの本も10年前となったの?(~_~;)
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- 作者: アルバート=ラズロ・バラバシ,青木薫,青木薫(監訳),塩原通緒
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/07/25
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![新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く 新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41RFDNJWY4L._SL160_.jpg)
- 作者: アルバート・ラズロ・バラバシ,青木薫
- 出版社/メーカー: NHK出版
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読んでいる本・・内田樹さん「私家版・ユダヤ文化論」の台詞
陰謀の「張本人」のことを英語ではauthorと言う。「オーサー」とは日常語では「著者」という意味でつかわれる。
ロラン・バルトがその「作者の死」でテクストの「創造者=統御者」としての「オーサー」というのは近代がつくりだした幻影に過ぎないと厳しく告発してからそろそろ四十年が経過する。
バルトのテクスト論は私たちの時代の「定説」である。それにも関わらず、依然としてわたちたちの社会では〈作家〉はその作品についての独占的な「オーナーシップ」や「コピーライツ」を保持している。
それはつまり、この理論は正しいけれど、現実からは乖離しているということを意味している。
昨日講談社の「本」8月号が届きまして、その中でコミュニケーション論の平田オリザさんが、
ダブルバインドということを言っていまして・・・・
ダブルバインドとは、簡単にいえば二つの矛盾したコマンド(特に否定的なコマンド)が強制されている状態をいう。
今、日本社会は、社会全体が「異文化理解能力」と、日本型の「同調圧力」のダブルバインドにあっている
私自身は「ダブルバインド」を決して単純に悪いことだとは思っていない
無理に自己を変えるのではなく、自分と、演じるべき役柄の共有できる部分を見つけていくことによって、折り合いをつける術を子どもたちは学んでいく。
人間のみが社会的な役割を演じ分けられる。
演じている役割の総体が自己を形成している。
皮の総体がタマネギだ。人間もまた同じようなもの。
私たちは、多様な役割を演じながら、かろうじて人生の時間を前に進めていく。
そんなことは皆知っているはずなのに、子どもたちには、「本当の自分を見つけなさい」と迫る。
形は変えたダブルバインド
役割を演じるということ、わかりあえないことから歩きだそうという
オリザさんの連載は秋に、講談社現代新書になるそうだが、
以前なるほどと思ったセリフは
「自分が発した言葉は伝わらないと思うべきなのだ」
「自分の考えたとおりには言葉は伝わらないものだという絶望に立ってから、受け手にどう理解されるか、その化学反応を楽しむべきだ。」自分の発した言葉がたいていそのままの意図で伝わらないのは、「言葉というものは、同じ言葉を使っていても一人一人意味が違う。ぞれぞれの経験が言葉に反映されていくわけです。」
「絶望に立ってからから楽しむ」というのはすごいインパクトがありましたっけ・・
内田樹さんの方も、別のそれかも
政治的に正しい答えも政治的に正しくない答えも、どちらも選ぶことができない。
自分が暴力的で愚鈍であるという事実を受け入れてまで私たちが手に入れたいと望む「疾病利得」とは何なのか
それはどうして反ユダヤ主義という形態と選択することになるのか?
「人間の邪悪さと愚鈍さはどのような様態をとるかについてなら、私は大変詳しい。私自身がその無尽蔵のデータベースだからである。
「本書を『私家版』と名付けたのはそのためである。」