猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

功罪をみて・・

ここに二冊の本がある
一冊は奈良県立万葉文化館の館長も務められる中西進さん(1929年生)の「ひらがなで読めばわかる日本語のふしぎ」(2003小学館刊 2008新潮文庫)
もう一冊は新潮日本語漢字辞典を作った小駒勝美さん(1954年生)の「漢字は日本語である」(2008新潮新書) 

かたや
「漢字は中国からの借り物。漢字で日本語を表現すると、日本人古来の考えからずれてしまう」という。
漢字を取り払って、物事の本質をとらえてそれを言語化するときの認識(それは実はz世界共通のもの)をみるということ、
一音のことばは日本語の中で最も古くかつ基本的なものであるとして、それをみるということ
伝来した漢字すべてに訓があったわけではない(紙の「かみ」も、麦の「むぎ」も外来語である)
日本語は、漢字によって飛躍的に進化した。しかし、その功とともに罪の部分も認めなければならない 
漢字依存が、日本語の持つ本来の豊かな意味を失わせていくこと
かって柳田国男(1875-1962)が、「どんな字で書くのか」と聞くことを「どんな字病」と呼んだという。
漢字が日本語の持つ働きの意味を奪っている面もあること
漢字でさまざまに書き分ける内容を包容する力のある日本語の沃野を失わないこと・・・を説く


かたや
「現在の日本の漢字は、アレンジとソフィスケートが得意で豊かに育まれた世界に誇れる日本の文化である」という。
初見でも容易にイメージがわいてくる日本の漢字の素晴らしい特長、
訓読という発明によって漢字一字一字の意味が明確にわかるという特長を生かして、自由自在に大量の新しい熟語を作りだしてきた。
中心的な意味を表す漢字と、漢字を補完してつながりを示す仮名。両者のコラボレーションは、お互いを活かしきる、実に見事なアイデア・・・・
漢字は日本人の創意工夫によって日本語にふさわしいものに生まれ変わり、日本人に愛される奥深いものになった・・・


なるほど・・
前者は、
よく、「同音異義」というが
そもそも日本のある語彙が同音であることが何を意味するか・・ということを教えてくれる内容で
そんなことは考えたこともなかったので、面白い。

具体的に一例をあげると ・・
日本語は、「かく(書く・欠く・掛けく)」のように、漢字で様々にかき分ける内容を持つ。
このように多様な日本語の、その場その場の内容を一目で識別できる手段が漢字であるが、日本語の
「かく」は指を使って行う動作をあらわす
日本語は、おのおのの語感や語源をたどると、日本人が、どういう内容をその言葉に込めたのかが、明確に立ちあらわれる

後者であるが、
中国で「町」という自治体がないので、「田のあぜ」という意味しかない
「共産主義」は日本製の熟語現在、日本で使われている漢字は、ながい歳月を経て、様々な日本式改良を施された、わが国独自のものである。
それを中国が逆輸入し、国名にするまでになっている
分解すれば漢字がわかる・・
漢字の基本要素はおよそ八百でその組み合わせからなる。そのため、「私のような記憶力の弱いものでも漢字を覚えてこられた」
漢字は古代的な絵文字性を色濃く残す、人の感性に直接訴えかける力を持つ

常用漢字や人名用漢字の制定の話も面白い
・・
が、動植物名は漢字で書けない、というのは常用漢字からだけの問題ではない・・ですよね
後者とは同年代なので、まだ言うこともあるかな・・と思いつつ再読しました