マーティン・スコセッシの”My Voyage to Italy”(2005)ですが
「ハリウッドとイタリアの中間で仕事をする」「自己表現に映画を選んだ」にんげんのイタリア映画につていての映画でした
自分のルーツはシチリア島という
「戦後のイタリア映画は強いメッセージを発していた」
イタリア映画の両極は史劇とネオリアリズモで映画は時代の産物だという
「歴史ある国にしか撮れないネオリアリズモの作品」その産みの親はロッセリーニで、
原点は「無防備都市』・・犠牲の物語であると。芸術的な装飾を施さずに悲惨な現実を描いたと。
2枚組243分の映画なのだが
ちょっと恐れ多い(重い)ので、おいておいて、もう一枚のイタリア映画を見ました
フランコ・ゼフィレッリの「永遠のマリアカラス」(2002)
DVDで見ると監督インタビューとかの特典があるのがいいですね
そこでゼフィレッリは言っていた(2003年11月)
アメリカ人は派手な映画を好む。カラスはゴシップだらけの存在ではない。
いかに素晴らしい芸術家であったか。彼女のパフォーマンスが引き起こす奇跡。
人生では簡単に手に入るものなどない、成功するためにどれだかもがき苦しみ、多くのものを犠牲にしたか。
天才とは努力し続けるもの。膨大な忍耐と努力。カラスは崇高な女性であった。
誰もが才能を持っている。才能は可能性。努力し続け伸ばすもの。
ファニー・アルダン(カラス)もよかったけれど、
「クレアモントホテル」 Mrs. Palfrey at the Claremont (2005)で好きになったジョーン・プロウライトがサラ役ででてました・・
ところで『ゼッフィレッリ自伝』って文庫になっていたんですね〜
- 作者: フランコゼッフィレッリ,Franco Zeffirelli,木村博江
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1998/01
- メディア: 文庫
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