猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

『場所感の喪失』

『場所感の喪失 電子メディアが社会的行動に及ぼす影響』(2003)
No Sense of Place・・とは
おもしろいですね・・

場所感の喪失〈上〉電子メディアが社会的行動に及ぼす影響

場所感の喪失〈上〉電子メディアが社会的行動に及ぼす影響

  • 作者: ジョシュアメイロウィッツ,Joshua Meyrowitz,安川一,上谷香陽,高山啓子
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本
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ちなみに、上巻だけで下が出ないというのも
何か示唆的で面白い

抜き書きをすると

アーヴィング・ゴフマンは社会生活をドラマというメタファーを使って記述している。彼の見るところ、私たちはさまざまな社会的舞台でそれぞれに様々な役割を演じている。
私たちは「オーディエンス」のそれぞれに対して、どこか異なるバージョンの自分を提示するのである
大部分の社会的相互行為には、瞬時の判断と調整と所作が必要である。
結果として、ゴフマンによれば、人々は、社会的に意味のある「印象」を作り出すように常にエネルギーを動員している。

メディアは同時にたくさんのものである。すなわちそれは、技術であり、文化的人工物であり、私的所有物であり、文化の内容と形式を蓄積し回復する容器であり、政治的経済的道具でもある。
けれども私の主たる関心は、メディアを、特定の方法で人々を含めたり排除したり、統合したり分断したりする、ある種の社会的環境としてとらえることである。
新しいコミュニケーション技術の使用が社会関係の「情報地理学」にどう影響しているか。
人々は、社会的状況の定義と、自分のパフォーマンスの「オーディエンス」とに合わせて、意識的無意識的に自分の行動を変えている。
「社会的状況」という概念は、一般に時間/空間コーディネートの関わりで理解されてきた。
すなわち、人がどこにいるか、他に誰がそこにいるか、日時、そして、その特定の時間/空間枠で生じている出来事の総合的な定義との関わりで理解されてきた。
私の考えでは、電子コミュニケーションメディア(電信、電話、ラジオ、テレビ、・・)は、物理的に定義された社会的セッテイングを超えてそれ独自の規制と役割期待を備えた新しいタイプの社会状況(情報システム)を作り出す。

新しいメディアは、古いメディアと違うことによって、また社会の諸局面のうち以前のコミュニケーション手段に依存していたものを変えることによって効果を生じる。
たとえば印刷機は、筆写者たちの遅く緩慢な筆記によって生まれる情報の相対的独占をバイパスすることによって、宗教改革と科学的探究の両者に拍車をかけることができた。
新しいメディアの潜在的可能性は、それ自身の使用法や固有の特性からだけでなく、新しいメディアがそれ以前のメディアの使用法や特性を補ったりバイパスしたりする仕方からも生まれる。
・・・
それでも新しいメディアは既存の古いメディアの連続体に収まってしまうのだが、・・・・
電子メディアは私的情報システムと公的情報システムの区別を崩壊させ、多くの情報システムを融合した
閉じた社会システムはすべて評判を落とした。
場所への新しいアクセス・ルールが、以前は区別されていたたくさんの付随的な社会的状況を融合させるために、さらにたくさんの行動パターンが維持できなくなっている。

「電子社会」は実際のところ 口誦、 筆記、 印刷、電子の社会であり、短縮されたラベルは、一連のコミュニケーション連続体の最後に生じて、残りの部分を変異させてしまった重要な発展を強調しているにすぎない。
多くの点で、その一つのメディアもそれだけで独立に論じることは虚構にすぎない。
メディアは互いにメディア・マトリクス(共存するすべてのメディアの連結のネットワーク)とでも呼びうるものの内部で相互作用している。
電子メディアは、ほかの諸諸のコミュニケーション・モードをバイパスする。
(byジョシュア・メイロウイッツ)

アーヴィング・ゴフマンwikipedia 閲覧

Erving Goffman、1922- 1982)は、米国の社会学者。日常生活における人々の社会的相互作用の仕方を解明する方法論として、ドラマツルギーを初めて社会学の立場で提唱したとされる。

ジョシュア・メイロウイッツ wikipedia 閲覧

ハロルド・イニスの『Empire and Communications (帝国とコミュニケーション)』(1950年)によって提起されて議論を呼んだ「メディア理論」の業績が重要性を増し、マーシャル・マクルーハンの『メディア論 (Understanding Media)』(1964年)で広く知られるようになった。この観点は、後年のジョシュア・メイロウィッツの業績(『場所感覚の喪失 (No Sense of Place)』1986年など)に受け継がれた。

今われわれの感覚・思考・行動を激変させつつある電子メディアについての、マクルーハン以降のメディア論の代表作、社会情報学の古典、ということであった。
ゴフマンの対面的相互行為の研究、マクルーハンのメディアの効果の研究を結びつけるもので、
物理的境界を越えて情報が侵襲して場所感覚を喪失させ、
電子メディアは社会的状況と物理的場所との関係を崩しているが、
場所の区別は明らかにまだ存在している。「場所」の脱神秘化・・・
しかしながら、結果として場所の移動とアクセスのルールの変化につながる、という論。