猫頭の文房ブログ

人間を獣頭人身で「分類」すると、私めは猫頭。その書斎もとい文房(自室)日常ブログ

食べること


『 ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』
藤原 辰史(1976-、農業思想史専攻 )
「人間の細胞には葉緑体が無く、光合成によってブドウ糖を算出することができないために、他の生物から栄養を奪わなければならない」
人間が栄養を吸収するためには、消化器官だけでは不十分である。そのいわば「外部機関」として、台所は欠かせない。台所は人間の身体の「派出所」である(p16)
男女の非対称性関係の表出の場(p35)
調理場を兼ねた暖炉が中心でそのそばに座る「全き家」の家母が、近代市民社会の産物である「家父長制」以前の権力者であった。(竈信仰)→
従業員約一名の「工場」化(二度と戻れないコース)、機械操作のような快適化、戦時食糧庁による集団給食の登場、名誉職つまりヴォランティアの公務員女性とその助手による
フランクフルト・キッチン(安価な労働キッチン)の色は青(フランクフルト大学で伝染病の媒体となるハエは青色の場所には近づかないという研究があった)
「郷土保護様式」(建築様式)・・ヒトラーの母親崇拝・・はインパクトある台所システムを作りえなかった

台所空間の工場(建築課題としての台所)化
調理器具のテクノロジー化(市場としての台所)
家政学の可能性と限界 アメリカ家政学による数値化、清潔志向、栄養学への依存・・料理が歯ごたえの無いものに代わってしまった

食べ物を口に入れ、内臓に収め、他の生物から栄養を奪取するために人類が建設した台所空間は、モダニズム建築、テイラー主義、家政学、そして、企業による台所用具の市場となることで、小型工場と化した(P229)

ナチスは、女性のことを「第二の性」と呼び、家庭を護り、「第一の性」である男性に奉仕すべき存在とみなしていた。(P298)
台所という空間を人間が効率的に働くことができる、「小工場」に設計し、主婦の存在も台所を構成する一つの要素を捉えた
ナチスは家父長制の極端な形態である(女性解放に反対)
台所に国家権力を浸透させ、内側からも戦争に適応可能な人間に変える、マイスター主婦制度(主婦のヒエラルキー、専門化 頑強な兵士を作る=戦争を担う機械)ナチスの動員技術「無駄なくせ闘争」(いつ戦争が起こっても大丈夫なように国内の食料を確保せよというニュアンス)、
ナチスは巧妙な手繰りで社会参加の意識(仮像の「誇り」)を植え付けた
残飯で豚を育てる・・人―食ー残飯―豚―人
ダイエット(DIET)という英語は、「痩身」という狭い意味ではなく、「医者に指示された食生活」というもう少し荘厳な、しかし味気ない言葉である
栄養学による科学的支配、ナチスの事業による構造的支配、企業による道具の支配
ヒトラー=菜食主義の禁酒禁煙者
「健康と清浄な身体に取りつかれた政権」ナチスが、台所の空間を活性したことは否定できない
竈の神や植物に宿る精霊の代わりをになうヴィタミン信仰(栄養学)
資本主義とナチズムと科学の、緊張をはらんだ共同作業による「テクノロジー」社会の構築
ドイツ的な家事のやり方、家事のマイスター制度、主婦のヒエラルキー形成
主婦は機械になるべきだ、という表現(「場」に埋め込まれる主婦たち)
テクノロジー社会は、企業の広告と国家のプロパガンダ、テクノロジーに順応のうした生活規範の個々人への浸透という性格を持つ。
台所は、本来的には、そこに立つ者の性や生と同様に、もっと多様であったいいはずだ。
ハンス・カストルプがダヴォスのサナトリウムで言ったように、食事が単なる「栄養の摂取」では味気が無い。(p378)
フランクルの「夜と霧」を再読して気づいたことは、企業の労働力として考えた時の囚人のコストの安さの秘密は、自分自身を食べることにあった、という単純な事実である(p418)
労働の代価として、生命をギリギリで保つ分量のパンとスープしか与えないという施設は、人件費を極限までゼロに近づけるという資本主義によって実現された「ユートピア」でもある(P425)

地球上を覆う資本主義は、地球全体がナチ化しているかのようだ(p421)

「魔の山」の主人公がちょっと出てきたので驚いたが、資本主義=いわば地球全体のナチ化という!!

ナチスのキッチン

ナチスのキッチン

食べること考えること (散文の時間)

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